本原稿の書き始めと時を同じくし、NBAのカンファレンスファイナルが始まった。昨年のNBAチャンピオン デンバー・ナゲッツは、西地区準決勝でウルブズに敗退、連覇は不能となった。イースタン・カンファレンスではボストン・セルティックス対インディアナ・ペイサーズ、ウエストの決勝は、ミネソタ・ティンバーウルブズ対ダラス・マーベリックス。原稿順はもっと後だが、タイムリーを優先し原稿132をアップした。今日は25日、すでに第二戦までの結果は出てるだろう。
練習生原稿132「バードに見る鋼の精神力」 Sugi Academy R6.5.22
現在NBAは、ウォリアーズが連覇した17、18年を最後に、毎年異なるチャンピオンが乱立する戦国時代に突入した。レギュラーシーズントップでも、プレイオフで生き残れない。それはチーム格差の是正という意味でもあろう。ファイナルから、レブロン・KD・カリー・ハーディンといった超人達の姿が消えたのも、時代の流れなのかもしれない。
ダラスには、カイリー・アービングがいる。コート内外で問題発言が多く、好悪の対象となりやすい選手。しかし、彼ほどのハンドラーは極めて稀、世界一の称号も納得。弛まぬ研鑽の積み重ね抜きで語ることなど出来ないと容易く分かる。人物について世評に惑わされることは避けたい。彼のハンドリングは、S.A.の目指すプレイスタイルとして明確な目標だ。ボール支配型の選手としては、同僚のドンチッチも同じだが、S.A.ドライブの方向性とは異なる。2023.2のアービング加入後、ダラスのパフォーマンスは低く、「両雄並び立たず」という論調が非常に強かったと記憶してる。プレイオフ出場も逃した。しかし、今シーズンはどうだ?レギュラーシ-ズンを勝率61%の5位通過。しかも、一位通過のオクラホマシティ・サンダーをポストシーズンで破っている。ウルブスとの対戦結果がどうなるかは分からないが……。
アービングも32歳、エースの座は若いドンチッチに軍配が上がるだろう。だが、やはりこの男、ただもんじゃないなあ。そういえば思い出した。2015/16/17/18と四連覇し最強となるはずだったのが、ステフィン・カリーのゴールデンステイト・ウォーリアーズ。16年の第7戦で、カリーからチャンピオンリングをむしり取ったのが、レブロンと共闘したアービングだった。クリーブランドは念願のNBA初チャンピオンとなった。NBAの長い歴史の中、三連覇達成したチームは延べ5つ。(チームとしては、レイカーズ・セルティックス・ブルズの3つ)90年代のシカゴ・ブルズ、二度の3ピートなんてあり得ないほどの珍事だ。
過去を振り返れば、王朝を築いたチームはいくつか存在する。NBA人気を不動のものにしたマジックとバード。2人のレジェンドが活躍した80年代は、レイカーズが5回、セルティックスが3回と、9年間で東西の名門が8度頂点に立つ2強時代だった。チーム優勝歴が極めて多く、名門と言われる所以である。現役NBA選手とレジェンド達のいずれが優れてるかなんていう話題も、度々上がる。まあ、ルール改変に伴う技術革新もあり、単純な比較は難しかろう。それでも、ブン爺には若き頃の「バスケに燃えた日々」が懐かしく、当時の選手達の活躍は何十年過ぎても決して色あせることはない。ラリー・バードの紹介は、他原稿で何回かやっている。内容的にかぶる部分はあろうが、「私のバスケ理論の原点」ゆえ、容赦願いたい。皆さんにとってNBAは身近な存在だろうが、当時その組織を知るものは少なく、プレイを見るなんてことは、ほぼあり得ない話であった。そんな時代にデビュー間もないバードと出会った。身体が硬直し視線は画面に釘付け、背筋がゾクゾクする興奮を覚えたんだ。「バスケってこういうスポーツだったのか」同じ体験をした人が、今、日本に何人いるのかなあ? 全てに驚きの連続だったが、何回か視聴を重ねる内に気づいたのは、1つ1つのプレイを完遂するための鋼の意志、そしてアイデア溢れるパッシングとプレイメイクを可能にした無辺の叡智である。 米国バスケの教えhttps://saschool-blog.com/?p=3450
1970年代は、NBAにとって暗黒の時代。選手の薬物とアルコールのスキャンダルはあとをたたず、観客数は減少、テレビ視聴率も下がる一方で、リーグ存続の危機にあったんだ。テレビの放送は週に1回、日曜日だけ。80年代にマジック・ジョンソン(ロサンゼルス・レイカーズ)とラリー・バード(ボストン・セルティックス)の登場で人気が加速、マイケル・ジョーダン(シカゴ・ブルズほか)、コビー・ブライアント(レイカーズ)、レブロン・ジェームズ(現レイカーズ)といった後のスーパースターたちの礎を築いた。 当時の平均年俸は20万ドル(現在のレートで約3100万円)現在の平均年俸は1000万ドル(約15億6000万円)だ。リーグのトップレベルは年俸6000万ドル(約94億円)を稼ぐ。NBA隆盛時代を築き上げたのが彼らなんだ。プロスポーツは人気が出て初めて利益が上がるからねえ(当然給料も)。いろんな種類の動画があるが、参考に1つアップしておく。URLを押下し、是非観てほしい。4:29の短編動画だが、中身は濃い。特に、2:15シュートからの一連のプレイは、初視聴した際、寒気が走ったのを強烈に覚えている。
「すごく速いわけでも、力強いわけでもない。だが、メンタルとファンダメンタルでほかの連中をやっつけていた。ダンクは誰でもできるが、メンタルは最も難しい部分なんだ」 バード語録より
どんな状況でも冷静さを保ち、並外れた集中力でクラッチプレイを決め続けた。余りにも激しい闘志は多くのケガも招いた。「バスケットボール選手に何よりも必要なのは、成功を欲する気持ちだ。これは誰にも教わることは出来ない。なぜかは分からないが、私にはそれが備わっていた」とバードが言う。
ブログ「ハンドチェッキングの歴史」の中で、ルール改変が、ドライブや3Pに革新をもたらしたと述べた。私がストックしてるドライブ技術は、ファンダ含め150くらいあるかな。その6割前後は2010年以降に新規開発され、あるいは取り入れられたというのが事実である。だが、プレイスタイルの考え方やパッシングスキル、3Pの扱い方等はほぼ全部、バードからその骨子を学んだんだ、40年以上昔にね。バードはまさに、現代的なオールラウンダータイプのビッグマンだった。カリーが3P革命をもたらしたと言われるが、むしろ遅すぎたんじゃないかとさえ思う。私にとりバードはバスケの師匠。当然、レジェンド達の職人芸は、次世代のNBAプレイヤーに引き継がれてゆく。3P一つとっても、その技術は多くの選手達に連綿と受け継がれた。結果カリーのような革命児が誕生したんだろう。
バスケットボールのスタイルが大きく変わってきたとよくいわれる。戦術部分を見ればそのとおりかもしれない。だが、驚天動地のパス、シュートはもう当時から存在したものだし、個々のスキルという面で捉えれば、現在の方が優れてるという表現が適切ともいえない。ましてブン爺のように、選手達にオールラウンドな技術を求め、速攻スタイルや積極的3Pシュートを早くから取り入れた人間には、現代の「ペース&スペース」バスケすら、大きな違和感はないと思う。レジェンド達の活躍は「伝統的文化遺産」、現役選手達は、遺産を大事にしながら新しいスキル・バスケを形成すればいいんじゃないか。そんな中、我々が見失っていけないのは、史実における「起承転結」。結論のみに目が行き、変革や派手さに囚われたら、指導や学びの方向性を失う。ニコラ・ヨキッチが凄いからといって、そのスタイルを全てのビッグマンが踏襲できるはずがない。だが、求めねば望みは叶わない。「深慮遠謀」こそが必要なのである。 ハンドチェッキング革命 https://saschool-blog.com/?p=3813
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