練習生原稿93「至高のNBAプレイヤー」 Sugi Academy R4.6.17
私がNBAという組織を知り興味を抱き始めたのは、1970年代後半。だが、情報入手手段があまりに乏しかった。今では有名になった「月刊バスケットボール」も決してメジャーとはいえなかったろう。(当時は、月刊バスケイラストレイテッド?とかいう名称だった)それでも、少ない情報源を頼りに、映像にまでたどり着いた。画質の良くないVHSビデオテープ(今では死語だよね)を、1本15,000円くらいで買った記憶がある。何十本もね。無茶に思えるが、それほどまでにNBAプレイに関心を寄せていたんだ。TV放映が始まる遙か前、NBAの動きを目で見る方法は限定されていた。印象深い選手は何人もいる。随分書けそうだが、今回は4人取り上げてみた。
その頃、コーチはNBAばっか見てたの?
う~ん、細かくまで覚えてないんだけど、NBA見だしたのは1980年頃かなあ。ちょうどバードがNBA入りした直後、私25.6歳くらい。ただし上述したように、見る手段は限られてたのさ。その1.2年後かな?○十万円もする、NCAAの強豪校がモデルのスキルビデオ20巻?くらいを手に入れた。ビデオデッキは最初、ソニーのベータマックス方式を使ってたので、テープもそれに合わせた。でも、次第にVHS方式が優勢になってきて、途中から変えたんだ。いずれにしても、その頃はアメリカンバスケのTV放送はなかったので、ビデオテープ購入を続けたんだよ。私の年齢で、バスケにあれほど手間や金かけた人、なかなかいないだろう。だからこそ、後述のレジェンド達への思いは強いのさ。そして、1989年頃、BSアナログ放送が開始された。その数年前から試験的にはやっていたけど、中身など余り記憶にないね。本放送後は、いろんな特別番組が見られた。デビュー数年、本格的に売れる前の「福山雅治ライブ」なんかも録画した。バスケは、最初は確か、NCAAトーナメントを放送してた。前述のスキルビデオで知ってたからのめり込んだなあ。NBAの放映が本格化したのは、それ以後だ。そして、1992年のバルセロナドリームチーム。NBAの魅力が世界的に爆発したきっかけ。NBAグッズも非常に売れ、バスケ無関係の若者がエアジョーダン履いたりとか……。ブン爺もレイカーズやロケッツのロゴをウエアに縫い付けてたね。懐かしい~。
カリーム・アブドル・ジャバー
1970年代中心に活躍した史上最高のC。218cmというサイズだけでなく、非常にパワフル、スキルフル。ゴール下での破格の強さが原因で、大学バスケ界では一時期ダンク禁止ルールがつくられた。そんな仕打ちにも負けず、ダンクに変わる武器「スカイフック」を考案、並み居る強豪を全て打ち負かしたのがジャバーである。信じがたいだろうが、スカイフックの打点はゴールより高い。だからDEFはブロックできない。最高点から落ち始めたシュートボールに触れると、「ゴールテンディング」という反則、得点になってしまうからだ。厳密に言えば、リリース直後は僅かにループがかかっていただろう。しかし、物理的にあの高さをブロックするなどほぼ無理。ジャバーなればこその必殺技だったといえよう。フックシュートはチビの私にとっても大事な武器の一つ。でも、かなり難しい。なぜあの長い距離が入るのか、到底理解しがたかったね。
マジック・ジョンソン
1970年代はベトナム戦争を背景に、麻薬蔓延などの暗い影がアメリカを覆った。NBAの人気は衰退し、アブドル・ジャバーらの活躍にもかかわらず、興行成績などは今ひとつだった。そんなNBAに現れたのが、救世主のマジックとバードだ。1980年代を通じて、彼らがNBAを牽引した。人気はうなぎ登りとなり、彼らのファイナルで争う姿に、観客は驚喜したのである。(マジックはロスアンゼルスレイカーズ、バードはボストンセルティックス所属で、カンファレンスが違うから決勝まで当たらない)マジックは、まるで魔法のように消えるパスの名手だった(どこへいつ出るのかTVカメラでも追えないほど)。ノールックパスは、彼のトレードマーク。YouTube等で多くが見ているだろう。ドライブで切り裂きながら、とんでもないアイデアのパスを出す。まさに「魔術師」。現在のNBA繁栄の礎は、彼らによって形作られたと言ってよかろう。
ラリー・バード
皆さんに伝えたい大きな点の一つは、彼が身体能力に恵まれない選手だったということ。身長こそ206cmとやや大きめなのだが、「走るのはのろい、高くまでジャンプできない」黒人に比べ、身体能力的に劣ることが多い白人選手の代表のように言われ続けてきた。実際、大学ではかなり実績を残し、マジックのライバルと見られてはいたが、NBAで通用するか疑問視する声は、結構多かったようである。なぜ、そんな選手が怪物揃いのNBAで活躍できたのか、答えは2つ。非常に真面目だった彼は、細かな点までおろそかにせず、ファンダメンタルを徹底的に磨き上げた。だから、技術力がものすごく確かだ。次はその頭の良さ。何といってもプレイがとてもクレバー(賢い)なのである。プレイの展開を予測する力や瞬間的な対応の判断がずば抜けていた。そんな奴がごろごろいるNBAにあってなお、まぶしいほど才能は光り輝いた。若き日の私が、最も早くから知ったのがバード。日本のつまらないバスケに嫌気がさしていたタイミングで、バードに出会った。すさまじいカルチャーショック。足は遅いのに何本もスティールし、跳躍力ないのにRebをバシバシもぎ取る。想像もしないような所にパスを出し、居るはずのないような場所にいつの間にか待っている。ボールがあるところには常にバードが居ると形容されるほど、ボールへの執念は凄かった。心の持ち方・頭の使い方がどれほど重要かを痛切に教えてくれる、最高の選手。
アキーム・オラジュワン
神様ジョーダンと同じ、1984年ドラフト選手。ジョーダンを抑えて1位指名された。チームの補強不足などでなかなか優勝できなかったが、10年後NBA2連覇、MVPを連続受賞している。当時ジョーダンが最も恐れてたのがオラジュワンだったという秘話もある。私が好きなのは彼のプレイスタイル。従来のCとは異なる非常に俊敏な動き、外からでも仕掛けられる多彩な技、自在のステップとターンでゴール下を絶対的に支配した。米国への帰化が遅れたため(ナイジェリア出身)、世界バスケ史上最強といわれる「初代ドリームチーム」には入ってないが、間違いなくそれに匹敵する選手。彼の愛称はTHE DREAM。そのムーブメントはドリームシェイクという。DEFを夢心地にするという意味、これほどテクニカルなCは、滅多出ないだろうね。上級者のMには、彼のプレイを学ぶよう伝えてある。今後伸びてくる、インサイドが主戦場の生徒も同様だと覚えといてほしい。ターンアラウンドプレイを彼の元へ学びに来るNBA選手は多い。コービー、レブロン、カーメロ、ドワイトなど、超一流が心酔してる。
彼らから学んだものはあまりにも多い。私は、ファンダを大事にしながらも、意外性の高いプレイに目を奪われた。ファンダとトリッキーは矛盾しないと彼らが教えてくれた。今、ブン爺がスクールで教えてるキラーパスのほとんどは、バードのプレイを参考にしている。私個人が工夫したパスプレイも多いけど、核になる部分は全てバードの影響力といえるなあ。メンタリティに関しても、バスケにおけるイマジネーション(想像力)とインスピレーション(閃き)の重要を如実に示してくれたんだ。3分足らずだけど、動画楽しんでほしいね。
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