世界の栄誉ノーベル賞の裏話 R3.12.30 LINE新着配信
毎年年末が近づくと話題になるノーベル賞。アルフレッド・ノーベルが作ったノーベル財団による基金で運営されてる、物理学賞・化学賞・経済学賞・医学及び生理学賞・文学賞・平和賞の6分野がある程度は知ってましたが、詳しい知識はありません。そこで、この機会にもう少し学ぼうと思いました。それにはノーベルの人生から勉強です。爆薬「ダイナマイト」の発明者程度の貧相な見識なので……。
詳しく見ていこうと思いますが、その前に、今年の日本人受賞者 眞鍋淑郎氏について少し触れときます。彼は日本人ですが、東大大学院卒業後、若くして渡米、米国市民権をとりキャリアを積み上げた人です。専門は気象学、地球温暖化理論の第一人者らしいです。私は学生時代に、大気中の二酸化炭素濃度の変化が温暖化要因になることを知り、その後、変化に関心を持っていました2.11.20ブログ。その頃、眞鍋氏はすでにCO2量と温度上昇の相関を数値化してたそうです。その彼の記者会見での言葉が、大変面白い。米国籍取得の理由です。
「日本人は調和を重んじる。イエスがイエスを意味せず、常に相手を傷つけないよう、周りがどう考えるかを気にする。アメリカでは、他人にどう思われるかを気にせず好きなことができる。私は私のしたいことをしたい」 日本的思想の大切を理解しつつ、どっちかといえば、私の人生も眞鍋さん寄り。なんか親近感を覚えます。人生終盤の90歳になり、「人類に最も大きな貢献をした」と評価されたことをお祝いしましょう。
さて、話をノーベルに戻します。1833年スウェーデン生まれ。クリミア戦争(ナイチンゲールの活躍で有名だが、詳細は省く)で、ロシアに武器を供給する父の背中を見て育ちました。十分な学習環境の中、様々な能力を開花させ、文学で身を立てようと考えたこともあったようです。だが、父は自分の後継者を考え、結局ノーベルは物理や化学の道を選んだといいます。あるとき彼は、ニトログリセリンという強力な爆発力を持った液体に出合います。何とかこれを社会のために使えないかと考え、研究を始めました。その当時、ニトログリセリンの爆発力は知られていたものの、常に一定の条件下で安定して使用することは困難というのが、科学者の常識だったようです。でも、それを克服したいという強い思い。なぜなら、油田や鉱山開発、鉄道やトンネル建設などの工事現場での利用が可能になり、「必ず社会の役に立つ」と信じてたんです。爆発で弟を失うなど、大きな犠牲を払いながら、やっとニトロをコントロールする方法を生み出し、それを「ダイナマイト」という点火式の爆薬に作り上げたのです。案の定、この発明は社会を激変させました。世界各国で需要が入り、ノーベルはたちまち大金持ちです。でも、この時代は各国の勢力争いで戦争が絶えなかった時期。強大な戦争兵器ともなるダイナマイトは、殺戮兵器としても使われたのです。ところが、ノーベルは、戦争でダイナマイトが使われ、そこで金儲けできることに余り抵抗はないようでした。「え~っ」と思いますよね。父の仕事を見て育ったこと、戦争が当たり前の時代、兵器以上に社会貢献できてる、などという幾つかの要因があったのでしょうか?「死の商人」などという評価も受けました。彼は、「強力な兵器という脅威が、平和を維持するためのバランスを取る」という内容の言葉を残したようです。互いの国が強力な兵器を持てば、うっかり手出しできないという意味なのでしょう。つまり、彼は戦争を望んでたんじゃないのです。人類の平和・発展を強く願ったんですね。そう考えないと、ノーベル賞の一つに平和賞があることの理解が困難です。彼の個人資産は、現在の日本円で250億円ともいわれます。死の床で彼は、遺言を残しました。「自分の財産の多くを、物理学、化学、生理学、医学、文学、平和の分野で、人類のために最善を尽くした人々に賞を与えるために使うように」と。こうして、ノーベル賞が、ダイナマイトの発明で巨万の富を築いたスウェーデンの発明家・事業家、アルフレッド・ノーベルの遺言に基づいて創設されたのです。世界最高の名誉とされるこの賞は、彼の命日12.10にスウェーデンにて授賞式が催されます。
ノーベルや眞鍋さん、オリジナリティに満ちた人生ですよね。進歩や革新はそんな所から生まれるものなんでしょうか?私自身も、静岡のバスケスポーツ界に於いて異端者かもしれません。でも、多くのスクール生・保護者に支えられてることを信じ、来年以降もあがいてみようと思います。年暮の挨拶かたがた、この1年を楽しく過ごせたことに感謝です。
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