「山眠る」という季語の風情 R3.2.24 LINE新着配信
訪れる人もなくひっそりと佇む冬山の静けさを表す季語。中国北宋時代の山水画家、郭熙の臥遊録にある「冬山惨淡として眠るがごとく」が元になっています。(惨淡の意味はよくわかりませんが、「痛ましいほどにかすんで」という感じかなと、勝手に解釈してます) 「山が眠る」という擬人法表現が、なんとも素敵な響きを生み出してると思いませんか?この語を知って20数年、たった17文字で表す俳句という文芸の妙に気づき始めた頃です。
「果樹園の門を閉ざしぬ山眠る」
収穫が終わり、冬到来に果樹園の門を閉じる感慨を表したのでしょう。多くの苦労が回顧され、感謝の思いもあるはず。中学生へ……「ぬ」という助動詞は、打ち消しと完了の意味で使います。ここでは完了ですね。
「山眠る星の投網を打つごとく」
満天の星々が、まるで魚を捕る投網を投げたかのように冬山を包み込む、綺麗な情景です。
「缶コーヒー膝にはさんで山眠る」
さみ~と言いながら、温かいコーヒー缶を挟んだんですね。ICEではないですよ。
今では私も、たまに句を詠み、書き残しています。専門的評価がどうかはわかりません。でも、自分がよければいいかなと……。趣味の一つですね。室町期に生まれた俳諧は、滑稽・卑俗的な傾向が強かったようです。それを江戸元禄時代に、芭蕉が文学的レベルまで大成。でも、俳句という語そのものが使われるようになったのは、明治中期以降。正岡子規による俳諧革新運動の結果だと言われています。CMに代表されるよう、今はあまりにも説明過多の時代。世界一短い詩である日本の優れた伝統文芸「俳句」、大切に残したいものです。
先日、少し風の強い晴天日に詠みました。 「梅花の 青をかき混ぜ 色競う」
俳句は季節感が重要。もうすぐ山の目覚める季節、その移ろいも楽しみましょうか。
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