年頭所感 R3.1.1 0:01 LINE新着配信
皆さん、明けましておめでとうございます。
昨年12月のことです。スクール生のNが所属するA小学校が、M小学校とゲームをしました。秋やったときは、Wスコアで負けてたそうですが、今回は20点差ほどで勝ちました。Nが冷静にプレイし、33得点したようです。「そんな短期間でうまくなるの?」と思うでしょうね。でも、なるんです。もちろん、個人差はありますけど……。非常に熱心な取り組みが、早い結果を出したのです。
11月終盤、県の優秀選手が男女各10人選ばれました。その中の男女2人は、S.A.の卒業生です。(事情があって退校しましたが、結構長くやっていました) 生徒の成長には、チーム指導者・保護者の支援、そして本人の努力など、多くの要素が関係します。ただ、S.A.での鍛錬も大きな要素だったろうと思います。
このような成果は、とても喜ばしいです。でも、私個人は、自チームを持っていたとき、中・高の県選抜選手を数十人輩出しているので、正直に言えば、そう珍しいことでもないのです。そればかりか、何も選抜に選ばれずとも、生徒が上達するだけで嬉しいのも事実です。いろんな選手がいます。誰もが選抜されるわけじゃないですよね。しかし……その一方、低い水準で満足したら、伸びは止まります。だから、全ての子に向かって私は言い続けます。「S.A.の練習は常にNBAを見ている」と。これをビッグマウスと揶揄する人もいるでしょう。でもいいじゃないですか。どうせやるなら、大志を抱きましょう。若い頃からの夢なんです。趣旨に賛同し、何らかの形でS.A.に関わる人が増えるなら、とてもありがたいですよね。
新しい年のスタートです。皆さんの温かなご支援、ブログの有効活用、訪問者の増加を願い、年初の挨拶とさせていただきます。 Bun
次の記事は、昨年正月に配信したものです。新しいメンバーも増えたので、再度掲載します。
練習生原稿31「極限まで取り組むということ」 Sugi Academy R1.12.22
バスケの練習で、「目一杯、頑張れ」とよく言われるだろう。でも、どのくらいやれば、本当にがんばったのか?難しい問題だ。今日は、1人のプロの生き様を通して、その答えに迫ってみたい。プロといったが、バスケプレイヤーではない。11月上旬に私が見に行った「東山魁夷美術館」(長野市善光寺隣)の東山魁夷画伯である。「物の見方・捉え方・感じ方・表し方」、ジャンルは違えど、バスケ上達のヒントが得られるものと考える。
美術に堪能な(詳しい)方もおられるだろうが、一応簡単に紹介しておこう。
昭和を代表する日本画家の第一人者。1908年(明治41年)横浜生まれ、1999年没。
*1867年10月 大政奉還(江戸幕府滅亡)、翌1868年から45年間が明治、大正は15年間。つまり、1926年末から昭和。1989年からが平成、そして2019年令和。
3歳の頃、転居で神戸へ。そして、高校卒業後、東京美術学校(現在の東京芸術大学)に進学。若い頃から創作活動していたが、世間にその名を知られるようになったのは、戦後、1947年の第3回日展(日本最大の総合美術展覧会)で「残照」が特選を得てからである。以降、風景を題材に独自の表現を追求し、数々の賞を手にその地位を不動のものとした。
上が日展特選となった「残照」である。娘にネットで見せたとき、「これ、絵なの?写真かと思った」という正直な感想が返ってきた。それほどリアルなのだ。東京国立近代美術館蔵で、私自身、実物を見てないのは残念だが、いつか見たいと思っている。
長野市の東山魁偉美術館で垣間見た、彼の創作に話を移そう。ここからが本題。絵画におけるプロ中のプロの考え方や取り組みは、きっと皆の心に何かを残すだろう。 *文中の「描く」には、読み方が「かく・えがく」と2通りあるが、区別は難しい。
美術館には、「下図」と書かれた作品が何点も展示されていた。例えば、左上にある作品には、「光昏(小下図)」という題名が付いている。これ何かというと、スケッチした元の絵に彩色(色をつける)し、取りあえず描き上げたとでもいうか、試作のようなもの(表現が正しいか不明だが)である。そしてスケッチ画も飾られてた。1つの画面を何百にも等分した小さな長方形が下書きされており、「その長方形、右から3番目・下から7段目の右角」に草の葉の先端が来るなどという具合に、実に細かな部分まで狂いなく描かれているのだ。「おいおい、嘘だろ」と思わず、心で叫んでしまった。さらには、下図にも小・中・大とあって、その後、本制作に入るらしい。私は美術に浅学非才(知識や才能がない)ゆえ、詳しく知らないが、本作品完成までに数年かかるなんてのも、よくわかる気がした。まさに「精緻の極み(極限まで注意が行き届いてること)」。
1970年代制作、唐招提寺(奈良、鑑真和上像で有名)御影堂障壁画「黄山暁雲」等5部作は、千変万化の山容を墨の濃淡で鮮やかに描画した大作であり、約10年の歳月がかかったという。気の遠くなる話だ。それほどの情熱を注いでやっと、自身の納得・人の感動に繋がる。
次は、「白い馬の見える風景」シリーズの一枚、「緑響く」であり、結構好きな作品だ。池畔を歩く白馬が、ホントに動いているように見える。 緑ならぬ黄葉の御射鹿池 https://saschool-blog.com/?p=282
どんな思い入れで描けば、こんな幻想世界にリアリティ(本物らしさ)を与えることが出来るのだろう? 凡人には知り得ない、何かがあるのかもしれない。もし存命ならば、是非会って話を伺ってみたい人物だ。
最後の一枚は、絶筆(生前最後の作品)「夕星」。多くの国々を旅し、写生をしてきた。しかし、ある晩に見た夢の中のこの風景が、なぜか忘れられない。このように述べ、最後の作品を描き、空には金星を描き加えた(親友、川端康成の象徴らしい)。 彼の作品は、「東山ブルー」といわれるほど、青系の色使いが多い。
数十年後、皆さんの記憶の片隅に残るよう、私もがんばらねば。生徒諸君も「極限までの取り組み」をね。 令和3年年頭
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